こっちmiruna!

miruno...? NO!miruna!!

良い文章とは何か。

 良い文章とは、何なのだろう。

ここのところ、いろんな人のブログを読むのが私の楽しみの一つだ。
変なもので、文章の作りや構成が上手いなと思っても「良いなぁ」と思えない事が私にはある。
逆に、「良いなぁ」と思える読み物は読むうちにどんどん面白くなってきて、「もっと、もっと」と読んでしまう。

 

私もこうしてブログを立ち上げて色々(と言う程でもないけど)書いているが、一番好きなのはこれだ。

 

mirunax.hatenablog.jp

 

 私は、自分で書いたものを後から何度も読み返す癖があるのだけど、この記事は特に好きで何度も読んでいる。
生まれ育った小さな町、自分自身、そして家族という最も身近なコミュニティーへ今も抱く感情に、激しく揺さぶられた夜の事を書いた。

 

「いいなぁ」と、何度読んでも思う。
何がいいのかと聞かれると困る。
私は、感じたことや考えたことを「形」にするのが苦手なのだ。
実は、この『こっちmiruna!』というブログを始めたのは、感じたことを「形」に出来るようになるためでもある。

 

最近、まだ「形」にするのに慣れていないなりに文章を書いてきて、やはり「良い文章」を書きたいなと思うようになった。
しかし、「良い文章」とは一体何なのだろう。

 

私の思う、「良い文章」

ここで、私が「良いなぁ」と思う文章の特徴を思い起こしてみようと思う。
とにかく私が「良い」と感じるものにフォーカスを当てていきたい。

 

誰が書いたのか読めば分かる文章

借り物ではないその人だけの言葉で書いたもの、というのは、誰にも真似することは出来ない。

そういう文章は時として、誰が書いたのか読めばすぐ分かってしまうほど、個性的だ。
※もしも村上春樹氏が〇〇のシチュエーションで文章を書いたら…みたいなのが流行ったけれど、特徴を捉えられてて読むのが面白いよね。でもやっぱり真似は真似だといつも思う。

 

絵もそうだし、音楽演奏でも同じだけれど、一目見て、聴いて、「あぁ、これは〇〇さんの絵(演奏)だ」と分かるというのは何より最強だ。
憧れる。
心からの「良いなぁ」が溢れる。
多分、文章でも同じように感じるのだと思う。

 

ありありと分かる文章


私は、形のないものがありありと分かる…つまり、「匂い」「味」「音」「温度」「湿度」などが、まるでその場に自分がいるかのようにありありと感じる文章が大好きだ。
この話は一度妹にしたことがあるのだけど、妹は

「それってその状況を具体的に書くだけでいいんじゃないの?凄い事でもなんでもないじゃん」

と言っていた。
いや、妹よ、状況を具体的に書くだけじゃ駄目だと姉は思うよ…。

滅多矢鱈に事細かく書いても、温度や匂いを感じる文章にはならない。(と、私は思っている。)
だからこそ、本当にありありと感じられる文章を読んだ時、「あぁ、良いなぁ」と心の底から思うのだ。

普段、「良いなぁ」という言葉で終わってしまっている自分を感じて恥ずかしくなっている午前1時…。

 

 

ここまで書いてきて急に気づいてしまった

実は、上の2つの文章を書いてから3時間以上、(もっとないかな…)と考えてたんですよ。
でも、突然気づいちゃったんですよね。
私にとっての「良い文章」は結局、「誰が書いたのかが読んで分かる、個性ある文章」、それだけだ、と。
他にも「良いなぁ」と思う文章のポイントは沢山あるのだけれど、結局それは文章術のようなものだと急にはっきりしてしまった。
「ありありと分かる文章」というのも、文章術だよね、結局。

 

結論。結局…

「誰が書いたのかが読んで分かる、個性ある文章」こそが、今の私にとっての「良い文章」である。

(2020年11月25日1時36分)

 

 

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 今日の一枚。
急に思いついて書き留めた時の。