こっちmiruna!

miruno...? NO!miruna!!

生まれ育った町での「異常」な体験が私に残したものは

自分の生まれ育った町を「異常だ」というのは、ほんの少し胸が痛む。
以前、こんなブログ記事を書いた。

 

埼玉県にある、赤城山が遠くに見える小さな町で、私は生まれ育った。

かつての私にとって、その町は世界の全てだった。

私は、あの町が嫌で嫌で仕方なかった。

私の家族も、町の人々も、そして私自身さえもが「異常」だったからだ。

赤城山が遠くに見える小さな町で。 - こっちmiruna!

 

mirunax.hatenablog.jp

 


確かに私はあの町でたくさんの「異常」な人々に出会ったし、「異常」な出来事に悩み、苦しんだ。

若い頃の私にとっては、私の住む町というのは私にとっては世界の全てだったし、家族と言うのは世界の中心のようなものだった。
町も、家族すらも健全に機能していなかったことが私に与えた影響は、どんな言葉でも言い表せない。

 

 

不思議なもので、 私が「赤城山が遠くに見える小さな町で。」を書いた時、(私がこのブログを作ったのは、これを書く為だったのだな)と思った。
そして、あの町での出来事をきちんと書くべきなのだろう、とも。

書く、という方法以外に、私が過去と向き合える方法はない。
向き合ったところで、私が今も抱える苦しみから解放されるとは限らない。
しかし、「何故私は今も苦しんでいるのか」ということを理解する手助けにはなるだろう。

私が生まれ育った町での「異常」な体験が、本当に私に残したものが一体何だったのか。
知るべき時がきたのかもしれない。

 

 

 

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今日の一枚。
優しいような寂しいような。