黒歴史 ー中学編ー
物心ついた時から、日焼けばかりの人生だった。
小学生の頃は、夏になれば海や川へ行き、どれだけ日焼けできるかを近所の子と競い合ったものだ。
その時の名残なのか、私は今でも日焼け止めを塗るのが苦手である。
中学に入った頃、厚底ブーツにルーズソックス、茶髪に眉全剃りしてからの超細眉、そして日サロで肌を焼いた「コギャル」が流行りはじめた。
思春期真っ只中の私も、肌を浅黒く焼いたコギャルには本当に憧れた。
しかし、友達もおらず本だけが生きがいの超絶陰キャだった私にコギャルになる勇気はなく、町に数件しかないバーバーサロンでウルフカット(当時ちょっと流行った)にするくらいが、私なりの精一杯の「イキガリ」であった。
ウルフカットにした翌日、ドキドキしながら登校した。
(みんな、なんて言うだろう…少しは褒めてくれるかな…?)
そんな風に考えていた私を、心からぶん殴ってやりたい。
その日、私はクラスだけでなく学年中から「mirunaがなんか髪切ってきたぞ!」と笑い者にされた。
「あは…あはは…。」
笑うしかなかった。
これをきっかけに、「私は日陰で目立たないように生きていくんだ。」と心に誓ったのは言うまでもない。
結局、私に許されていたのは、「日焼け」のみだったのだ。
ところがその後、私はギャル文化とも陰キャ文化とも全く違う方向へ進んでいくことになる。
キーワードは、—CUTiE—
さらなる黒歴史の、幕開けであった。
追記:
読み返して思ったけど、こういう書き方がまさに…なんだよなぁ。
黒歴史の生き証人。(そういうとこやぞ)
昨日、東京都足立区竹ノ塚を歩いて、写真を沢山撮ってきました。
これはその中の一枚。
気に入っています。
Googleの検索結果が、最近なかなか酷いなって話。
mirunaです。
今夜は(も)何故だか眠れないので、最近思うことつらつら書きます。
何か誰かの役に立つような事でも書ければいいのだけど、そういう視点がないのが悔しい。
それでは早速本題に入ります。
ΔGoogleの検索結果にイラ立つ私。
Googleに対してムカつくと思ったことはないのだが、最近兎に角検索結果が酷い。
「そんなこと言っていいんかい…」って感じなんですが、でも本当にそう思うことが増えた。
そこのあなた、調べ物でGoogle検索して、検索結果の上位ページ開いてみたらめちゃくちゃ古い情報で「はぁ~つっかえ(ねぇ)!!」となることありませんか?
これ、最近やたら多いなと思うんですけど、私。
え?そんなことない?
そうかなぁ。
私はあまりSEOとかそういうのは詳しくないし、ブログも趣味で書く程度なので、何がどうしてこうなってるのかは全く分からないのだけども。
もう、単純に不便なんですよ…。
「無料で検索させてもらってるのに文句言うなよ」って弟に言われましたが、そういう問題なんですかねぇ。
Δモヤモヤする…Googleで検索して開いたwebページの中身が大体同じ
これも多いんですよ。
例えば最近、どうしても解決したい問題があって検索したのだけど、1つ目のwebページで解決出来ず。
次のwebページを開いてみると、大体同じようなことを言ってて話の流れが殆ど一緒。
同じようなこと言ってるっていうのは、キーワード検索してるんだからそりゃそうだろって思うかもしれないけど、そうじゃないんですよ。
普通、自分だけの言葉で何か書こうとすれば、キーワード検索した結果だって内容が殆ど同じになるわけないんですよ。
困ったなぁと思いながらも、別のwebページを開いてみるが、読んでみるとさっき読んだのとまんま同じ文章が書かれてたりする…。
文章が同じってところまでくると笑っちゃうよね。
なんだこれって感じ。
これね、こういうページってブログで稼ごうと思って頑張って作ったのかなって思うんですよ。
でも、目的がお金だとブログの内容ってそんなに気にしないものなんですかね?
なんだかモヤモヤするんですよ…。
Δ検索の仕方の問題なのか…?
書きながら思ったのだけど、これって私の検索の仕方が悪いんだろうか?
というのは、Google等の検索エンジンは非常に便利だけれど、実は検索する側はある程度頭が良くないとうまく検索できないシステムになっているからなんですよ。
知りたい事があったとして、それを知る為に適切なキーワードが選択できなければ、知りたい情報に辿り着けないわけじゃないですか。
つまり、私の検索の仕方が悪い、と。(確かに頭は悪い)
うーん、そういうことなのか…?
Δ謎が深まるばかりのGoogle検索結果(深まってない)
多分ね、書き手側の問題も検索する側の問題も両方あると思うのだけど、もう少し検索がしやすくなると嬉しいですな。
Googleって、年に何百回もアップデートしてるらしいので、きっとこれから対策されるでしょう。
期待しつつ、これからもGoogleさんにお世話になろうと思います。
嫌な感じの話しちゃったので、ホットケーキの写真載せときます。
和むよね~。
日曜の朝、神の啓示。私に降りてきたものは「たこ焼き」だった。
Δ神の啓示
日曜の朝。
うちの猫さんの唸り声で目が覚めた。
まだ寝惚けている私のお腹に、トランポリンアタックしてくる猫さん。
思わず、私まで唸る。
「ごめんごめん…」
何故か猫さんに謝りながらも、私はなんとかベッドから抜け出してキッチンへ向かい、水を体に十分に満たした。
窓を開けると外はいい天気で、鳥が陽気にさえずっていた。
「鳥にも陽キャがおるんやなぁ…」
んなわけない、と自分に突っ込みを入れながら身支度を整える。
私はいたって冷静よ。
何時だって。
と、突然閃いた。
「TA・KO・YA・KI…」
(たこ焼き…だと…!)
これは神の啓示だ。
そう思った。
すぐさま冷蔵庫の中を見る。
蛸は、冷凍庫にあった。
鰹節、青のり。
玉子、それから小麦粉にマヨネーズ…。
……。
なんということだ。
たこ焼きソースがない。
私はすぐに近所のスーパーへソースを買いに行った。
ついでに発泡酒も買おう。
今日は金麦だぞ。
いい気分でスーパーへ向かった私はこの時、肝心なものを忘れている事なんて知る由もなかったのだった。
Δ玉子焼き器でたこ焼きを焼く。
準備。
買い物から帰ってきたので、さっそく準備に取り掛かる。
一人前のたこ焼きを作ったことがなかったので、いつも通り準備した。
水1リットルに玉子一個と鰹出汁の素適量を溶き、そこに小麦粉を大体200g強入れる。
混ぜた時にしゃびしゃび状態なのが大事。
葱を一本みじん切りにして、蛸を適当な大きさに。
あとは天かすを出して、準備完了だ。
もう天かす入れたのか?とお思いでしょうが、これはただのダマです。
焼く。
玉子焼き器をよく温めて油をひき、たこ焼きの生地を流し込む。
じゅあぁっ。
この、生地を流し込んだ時の音が、私は好きだ。
そこに葱、天かす、紅生姜…。
…紅生姜…?
…紅生姜が、ない…。
旨いたこ焼きには、紅生姜が必要だ。
今すぐ買いに行きたいが、既に焼き始めてしまっている。
「くそっ…」
ぐっと涙をこらえながら、蛸を入れていった。
紅生姜が入ってないたこ焼きって、なんだか寂しいやね。
たこ焼きって感じしない。
(そもそもたこ焼き器で焼いてないんだけど…。)
弱火の中火で焼いていく。
火がある程度通ったら、生地を半分に折り曲げる。
こんな感じ。
ここからは弱火でじっくり焼くのだ。
トロトロに焼けたたこ焼きを、想像してごらん。
…あぁ、たまらん。
早く食べたい気持ちを抑えてよぉく焼くと、こんな感じ。
カリカリに焼けました!
うーん、旨そうだ…。
食べよう!
Δたこ焼きの完成。
ででーん。
どうですかこれ。
あぁ…。
これは…。
喉が勝手にゴクリとなる。
急いで金麦をぷしゅっとやる私。
「いただきます!」
熱々のカリカリのトロトロのたこ焼きをほおばり、すぐさまキンキンに冷えた金麦を流し込む。
ぐびっ。
ぐびびびっ。
ぷはあぁ。
最高の、たこ焼き。
日曜の朝。
90年代を思い返すと、まるで有難いお経を聞くかのように畏まって、真剣に音楽を聴いている私がいた。
「あの頃はよかったよね。」
30を過ぎたあたりから、なんとなくそんな言葉が口をついて出るようになった。
私はそれが、本当に嫌だった。
私は小さなころから音楽を聴くのが好きだった。
小学生の頃は母の影響でThe Beatlesを。
中学生の頃にはハードロックを聴き始め、そのうち音楽好きの友人の影響でOASISやblurに熱狂し、BECKやKula Shakerなどに出会い、憑りつかれた様にCDを集めたものだ。(今から考えるとかなりミーハーか?)
そんな私も、ちょうど20歳を過ぎた頃からは段々と、新しい音楽を探そうとする熱が冷め始めたと思う。
今、私は39歳。
この歳になって、ギターを始めた。
相変わらず、音楽が大好きだ。
しかしやはり、「あの頃はよかったよね。」という思いが何処かにある。
こんな大人になりたくないと思っていた大人になっちまった。
何故、90年代というのはこんなにも「よかった」のだろう。
分からない。
思い返すと、あの頃の私は新しいCDを手に入れる度、本当にドキドキしながらコンポのトレイにCDをセットして、今度はどんな挑戦状を私にたたきつけてくれるのだろうかと興奮して再生ボタンを押していた。
歌詞カードを開いて、本当に改まった気持ちで、どんな些細な音も聴き逃すまいと真剣だったと思う。
それこそ、まるで有難いお経を聞くかのように畏まって、真剣に音楽を聴いている私がいたのだった。
ここまで書いてきて、ふと不思議に思った。
何故、20歳を過ぎた頃からは音楽への熱が失われていったのだろう…。
単純に「歳をとった」というやつなのだろうか。
それこそ、「あの頃はよかったよね。」という言葉に集約されているのかもしれない。
赤城山が遠くに見える小さな町で。
埼玉県にある、赤城山が遠くに見える小さな町で、私は生まれ育った。
かつての私にとって、その町は世界の全てだった。
私は、あの町が嫌で嫌で仕方なかった。
私の家族も、町の人々も、そして私自身さえもが「異常」だったからだ。
―――この「異常」な町から抜け出せたなら。―――
毎日そんな事を考えていた私は、10代の終わり頃にとうとう町を抜け出すことに成功し、今は東京の片隅で、猫と一緒に一人と一匹暮らしをしている。
今夜は、窓から見える月を眺めながらぼぉっと考え事をしていた。
これまでの人生と、これからの人生について。
あの町であった「異常」な出来事や、「異常」な人々について。
私の頭をがつんと殴りつけるような、優しい音楽について。
そして、私に出会ってくれた大切な友人について。
「ふぅ。」
自然と溜息が零れた。
時計の針は、21時51分を指している。
今日の一枚。
埼玉県熊谷市の駅前周辺を散歩した時のもの。
この寂れた感じが好きだ。
家計簿つけるの挫折しがち。
Δ月末の財布と、家計簿と、挫折。
あっという間に一日が終わりました。
mirunaです。
今日は商店街で野菜を購入。
バナナ2袋・白菜・ネギ4本・人参大袋・長芋を購入して、計655円。
激安すぎて助かる。
バナナ買いすぎ。
しかしですねぇ、毎月月末になるとお金がすっからかんになってしまうのよね。
こんなにお安く買い物ができているのに。
これには頭を悩まされているのですよ、私。
よし!家計簿つけてしっかりやり繰り!
貯金頑張って来年は旅行へ行く…!
…って、何度も思ったし何度も家計簿買ったけど!
無理。
飽き性だし、面倒くさがり屋だし。
だけど毎年買っちゃう。
それが家計簿。
Δ今年も家計簿買いました。
そんなわけで、今年も家計簿買ってきましたよっと。
今年はちょっと奮発して(しなくていい)、サンキュ!特別編集の『2021 Happy家計簿』を買いました。
家計簿をつけるのを習慣にするために、どんな基準で選んだかお話ししたいと思いますよ。
Δ私が家計簿をつけるのを習慣にするために気にしたpoint
「おうおうmirunaさん、どんな家計簿買ったんだい?」
というお声が聞こえてきます…。
しっかり写真撮りましたよ。
こちらです!
ずどーん。
可愛い。
家計簿選びのpoint①お気に入りの表紙
まず表紙が可愛い。
表紙って、めちゃくちゃ大事だと思うのです。
自分の好きな表紙だと、家計簿つけるのも習慣づけやすいんじゃないかなぁと。
表紙が全然好きな感じじゃない場合、私だったら家計簿開く前に表紙を見るのが嫌で手にも取らないかも。
今年はいつもと違ってファンシー路線でキメ!
家計簿選びのpoint②ゆったり書きやすい
意外とこれ大事だなと思ったのは、記入欄がゆったりと書きやすいこと。
記入欄が細かいと書きづらいですよね。
書き間違えした時の修正もちょっと面倒だし。
些細なことだけど、私にとってはちょっとストレスに感じることだったんですよ。
今回選んだサンキュ!特別編集の『2021 Happy家計簿』は、記入欄がゆったりめで凄く書きやすい!
嬉しい~。
(実際の家計簿の写真も撮ったのだけど、こういうのも著作権が発生するのかなぁと思い掲載を断念…。)
家計簿選びのpoint③費目が自由に設定できる
これも意外なpointだと思うのだけど、元々費目が決まっている家計簿(特に細かく費目が分かれている家計簿!)は、レシートを見ながら費目を分けていくのが本当に手間で…。
え、私だけ?
そんなことないよ…ね…?
自分で費目が設定出来る家計簿だと、費目ごとに分けていく手間が少し省ける。
これってめちゃくちゃ大事だと思う。
面倒だな、と思うとだんだん家計簿つけなくなっていくから…。
出来るだけ面倒ごとがない方がいいんですよ。
人生と同じです。
Δ今年は家計簿がちゃんと習慣になりますように。
そんなわけで、今年「こそ」は家計簿つけるのを習慣にしたいmirunaです。
貯金もして、豊かな老後を過ごしたいものです…(遠い目)
今日の一枚
気持ちよく晴れた日、うちの猫さんは何を見つめているのでしょう。
私はmiruna.
今から21年程前、私が18歳だった時の話。
ちょうど私が短大を中退した頃のことだった。
当時私は、特にアルバイトするでもなく、当時付き合っていた人の影響でスポーツカーに夢中になっていた。
ある日、いつものように峠で走るのを終えてファミレスでグダグダと走り屋仲間と話をしているときに、『魔法のiらんど』というものを教えてもらった。
魔法のiらんどは今では小説投稿のサイトになっているようだけれど、当時は無料で誰でも気軽にHPを作れるサービスを提供していた。
「へぇ、面白そうじゃん。私も作ってみようかな。」
教えてもらったその日のうちに私もHPを作ったのだが、思った以上に面白くてどんどんハマっていった。
家にPCなんて高級なものがなかった私にとって、ガラケーの中に広がる数々の個人HPは、見ず知らずの人と繋がっていける不思議な魅力に溢れていた。
暇つぶしと言えば読書と音楽しかなかった私にとって、『インターネット』はなくてはならないものになっていったのだった。
こうして振り返ってみると、私がblogにハマるのも無理はないというか、まぁそうでしょうなぁという感じがする。
たくさんのblogを作っては潰し、作っては潰してきた。
「そろそろblogにも飽きたなぁ。」
そんな風にぼんやりと考えていた私だけれど、またこうしてblogを立ち上げてしまった。
目的は、何もない。
ただ、書き留めておきたいと思ったのだ。
誰かが読んで面白いか、という視点は、あまり私にはないらしい。
そういうことを考えて書きたいと思って、何度も挑戦したのだけれど、ことごとく失敗した。
あまりにも個人的な視点で、俯瞰することなく、超絶的主観で綴っていくしかないのだ、私には。
そんなわけで、私はmiruna.
よろしくお願いします。
先日地元に帰った時に撮った写真。
なんとなく載せてみました。